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(35)巨匠、村岡博先生 逝く

メディア 日本歯科新聞 掲載日 2004年01月27日

さじかげん (35)巨匠、村岡博先生 逝く

 
  「和田さんは中国に技工を出して料金を安くするらしいが、それは結局、技工業界を困らせることになるかも・・・」と村岡先生が大変心配されていると、最近間接的ではあるがお聞きした。もちろん中国で云々、と言うのは歯科技工士法にてらしてもできることではないので事実無根のことなのだが、やはり何度も大所高所から見ておられた大先生のこと、今後の歯科業界全体を案じての一言と感服した。近々、市川に行くことがあれば、お好きなサウナ風呂にでもお誘いし、「先生、そんなことできませんよ」と申し上げ、「そうだろう」と笑顔を見せていただきたかったのに、それが実現しないうちの訃報であった。
 
 「ゴルフをする暇があったら歯の勉強をしろ」が口癖で、ゴルフが大好きな私としては耳の痛い一言ではあったが、あれほど歯科医療に情熱を燃やされていた村岡先生の言われることであれば、あるいは正しいのかも知れない。常によく勉強をし、手を動かし、私利私欲がまったくなく、話しても書いても達人であられた先生の「村岡語録」は、浜松の近藤弘先生を通じて熟読玩味したものである。ことほど左様に科学することが困難な時代に、村岡先生を囲む臨床家に語録をもって後進の指導を行い、多くの歯科人に感銘を与えられたと思う。
 
 村岡先生は市川に日本タイコニウムを作り、素晴らしい金属床技術者を養成され、私もしばしば見学させていただいたものである。前述の当社が技工を中国に出しているという話は、東京の業界人が流したうわさをこのラボを通じてお聞きになり懸念した村岡先生からの「やってはいけない!!」という警告であったと推測するところである。
 
 このように、歯科医師、技工士、そして日本の人々を愛し、誰にでも公平に平等に接した先生であった。ご子息、秀明先生のことについては、「息子には恵まれなかったけれど嫁には恵まれた」と言うのが口癖だったと、告別式の挨拶で喪主を務めた秀明先生が言われた。いつも当社の講演会で大盛況を収める秀明先生がそのようなはずはもちろんないのだが、決して自分の息子の出来栄えを誉めない、昔気質の村岡先生だったのであろう。
 
 先生は生前から「自分が歯科の神様であるから無宗教でよい。葬式場は最近できた昭和セレモニー本八幡儀式殿に決めた」とおっしゃっていたという。 聞いてもわからないお坊さんのお経を聞かされるよりよほど清々しく温かみのある、いかにも村岡先生らしい告別式であった。 秀明先生のユーモアたっぷりなご挨拶に、参列した約1000名の出席者は微笑んだのである。おそらく、多くの参列者は、空の彼方に消えていった村岡博先生に、 悲しみとともに爽やかさを感じて会場を後にしたことであろう。
 
合掌

代表取締役会長 和田弘毅

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